病薬ひろば

HP委員ブログ

2015年10月07日
大村智先生ノーベル賞受賞に寄せて(もう一人のノーベル賞)

ウェブマスター


アメリカメルク社本社の入り口には、リバーブラインド(オンコセルカ症)で盲人となった患者と案内する子供の像があるそうです。

大村先生、ノーベル医学生理学賞受賞おめでとうございます。
まさかあの薬の発見者が日本人であったとは!と驚きました。私は2006年ある書籍を読んで感動しました。リーダーの取るべき行動をまとめた本で、実際のリーダーの決断をドキュメントとしてまとめた書籍でした。その中に医薬品関係のリーダーの決断が書かれており、アメリカメルク社の最高経営責任者ロイ・ヴァジェロスの事が取り上げられていました。
今回ロイ・ヴァジェロスはノーベル賞の対象者ではありませんが、この方がいなかったら、この薬は世の中に出てきていません。
会社に大きな損失をきたすことを承知で、新薬開発を推進したCEOロイ・ヴァジェロスとこの薬剤の誕生物語を、読書感想文として書き残してあったものを、今回是非読んでいただきたく投稿いたしました。

                 伊那中央病院 伊藤陽一




                     ある新薬の誕生物語
            (開発中の難病特効薬が会社に損失をもたらすとわかったら?)
               メルク社経営責任者ロイ・ヴァジェロスの決断

1.オンコセルカ症
 「1988年11月のある日、西アフリカのマリのシコロニという村で、村長と14人の長老―全員が50代か60代の男性―は一人の訪問者を歓迎した。数人が幼い少年に杖の片端を引かれ、ベランダの下に集まった群衆の前に歩み出た。14人のうち12人は、全く目が見えなかった。世界で最も恐れられている病気の1つ《オンコセルカ症》(リバーブラインドネス)におかされていたのだ。全世界で2000万人近くがこの病気に苦しんでおり、30万人以上が完全に視力を失っている。アフリカの一部の地域では、年を取ることは、すなわち目が見えなくなることだと考えられている。しかし、多くの人はその段階までも達しない。―オンコセルカ症は、寿命を推定で3分の1以上、縮めるのだ。
 この病気は、流れの早い清流に生息する、背中の丸い小さなブヨを介して伝染する。その経路は蚊がマラリアを媒介するのとほぼ同じで、すでにオンコセルカ症に感染した患者をブヨが刺すと、オンコセルカという寄生虫の幼虫がブヨの体内に入る。つづいてそのブヨがまだ感染していない人を刺し、幼虫の一部を皮下に残していく。幼虫はあっという間に増え、感染者の全身に広がり、最高で体長6cmまで成長して、14年近く生きる。その繁殖力は驚異的で―2億匹が寄生していた患者もいる―全身の皮膚に広がり、重度の疥癬を引き起こす。そして、眼球にも進入し、次第に視力を蝕んでいくのだ。シコロニの村長はかろうじて視力が残っていたが、両足の皮膚はまだらになっており、目が見えなくなるのも時間の問題であることを物語っていた。「髪が白くなる前には目が見えなくなる」と、村長は言った。・・・・

2.従来の対処法
 1970年代末まで、農薬の大々的な散布(WHO) ⇒ 効果があまりあがらなかった。
・繁殖地域が広すぎること
・自然環境のすきまに入り込んで生息しているため、薬がいきわたらない。
・発生地域が正確に予測できなかった。
・卵の孵化に関する条件は、雨や川の流れによって常に変化する。
・ブヨは短い周期で繁殖を繰り返すため、散布された化学物質に対する抵抗力をつけやすい。
・殺虫剤はしばしばブヨの天敵を殺した。
・ブヨは追い風に乗ると1日80kmも飛ぶことがある。  
・新薬投与の方法もあったが、医師の監督が必要であり大規模に実施できなかった

しかし、それでも人海戦術に頼った方法でオンコセルカ症の発生率が減少し、国連を始めとする機関はプログラムに数百万ドルを投じた。

3.新薬開発のはじまり
 1977年5月9日
 アメリカの製薬会社メルク社の研究者 ウィリアム・C・キャンベルは、家畜の寄生虫を駆除する薬を専門に研修していた。(メルク社では、最先端の研究を自由に認めることで、科学者の意欲をかきたてていた。キャンベルの研究チームもそうであった)キャンベルは自然界のある微生物が、研究所の実験用マウスに投与した寄生虫に効果があるのではないかと実験していた。1975年には、キャンベル達が集めた微生物は10万種近くになっていた。このうち4万種について抗寄生虫性の有無を確かめたが、効果が現れたのはわずか1種だった(日本の伊東の近くにあるゴルフコースから採取したものである)とはいえ、その効果は劇的だった。実験用マウスにわずか与えただけで寄生虫は消えた。その上マウスへの害は全くなかった。さらにヒツジやブタやイヌやネコの耳ダニやウマに寄生する寄生虫にも有効であることをつきとめ、1978年アイヴァーメクチンと名づけられ発売された。キャンベルは馬に寄生する糸状虫とオンコセルカ症の原因寄生虫が生物学上の親戚にあたることに着目し、人間にも応用可能かもしれないと提案した。このメモが研究所所長であるP・ロイ・ヴァジェロスにまわされた。

 この時ヴァジェロスの考えたこと
①研究には数年を要する。
②アフリカの村で広範な実験の必要がある。
③最終的に研究費は数百万ドルにのぼるだろう。
④キャンベルの推測が正しいとしても、それを必要とする人びとは金を払える見込みはない。
⑤キャンベルの申し出を認めれば、会社と株主に商業的に価値のない製品の費用を負担させることになる。
⑥申し出を却下すれば数百万の貧しい人々の生命を脅かす伝染病を撲滅できるかもしれない薬を葬ることになる。

 この時ヴァジェロスのとった行動
①キャンベルに私信を送り、研究を続けて人間への応用に関するデータをできるだけ集めるように激励した。⇒ 組織の中で3つの段階を飛び越えておりてきたヴァジェロスのメモによって、キャンベルは力づけられ、使命感に燃えて目標に立ちむかった。

4.新薬開発go
1979年\tメルク社の新薬開発に絶対的な決定を下す研究管理評議会(議長ヴァジェロス)において、キャンベルと上司のジェリー・ビルンバウムはプレゼンを行い、ほぼ確実に会社に損失を出すと考えられたにもかかわらず承認された。
 開発goすることのメルク社の影響
①会社に損失を出すことが確実
②抗寄生虫性の薬を他の種類の動物に応用する試みは失敗が多い。
③人間に投与して予想外の副作用が生じた場合、現在動物に使用しているこの薬剤が売れなくなる危険性がある
  
 しかしこれらのリスクをしても、Goさせたのは、メルク社の伝統・原則「健康を利益より優先させる」があったから。
 
 キャンベルは早速専門家チームを結成。

1980年1月  ヴァジェロスは西アフリカでの最初の臨床実験を行うことを承認
その後     WHOへ協力要請 
結果は非常に良好だったが、科学者からは懐疑的な批判があった。「楽観的過ぎる、軽い患者だけだったのでは?さらに投与を続ければ危険な毒性が確認されるはずだ」
1983~1984年 ガーナ、リベリア、セネガル、マリで大規模なテスト
1985~1986年 ガーナ、リベリアで1200人に対して大々的な実験。⇒ 1錠経口投与するだけでほとんどの微生物を殺し、成虫が繁殖するのを妨げるうえ皮下の寄生虫を駆除するため、ブヨが感染者を刺しても運ばれる寄生虫がほとんどいなくなった。薬の効果は必ずしも持続しないし、完璧ではないが、1年に1回だけ服用すれば(毎年1~2錠服用すれば)寄生虫の繁殖も、視力障害の進行も防げる。アイヴァーメクチンはオンコセルカ症の伝染を食い止めるのに革命的な効果をもたらした。

5.薬の配布
 1987年10月 フランスにおいて薬の販売の許可が下りる。
 10年を費やした新薬を流通させる困難な問題が新たに出現する。
 辺鄙な村まで薬を届けるには1年目だけで200万ドル、オンコセルカ症抑制までに年間2000万ドルかかる試算であった。
 ヴァジェロスはアイヴァーメクチンの製造および配布の費用を負担してくれる機関を捜した、アメリカの国際開発庁、民間の財団、ヨーロッパの各国政府、アフリカ諸国、しかし足長おじさんは見つかりそうになかった。奇跡の薬は棚の上で眠ったままになるかもしれなかった。
 ヴァジェロスは決断した。「新薬を必要としている全ての人に永久に無料で提供し、寄生虫が甚大な被害をもたらして人々の生命を奪う前に、薬を確実に行き渡らせよう」
 1987年10月21日 パリとワシントンで記者会見
1991年\t国際開発庁が配布の費用として250万ドルを提供
1994年\tWHOは世界銀行と米州開発銀行、民間の開発組織に呼びかけてコンソーシアムを作りアイヴァーメクチンの配布を援助することを決定。その後国際眼科財団、へレンケラー財団、ライオンズクラブ国際協会が配布の支援を申し出た。
1996年 米FDA、国内でアイヴァーメクチンを人に使用することを承認

 

6.メルク社社是
 「メルク社の使命は、社会に優れた製品とサービスを提供することである」
 「投資家により多くを還元することである」
 「われわれは人類の健康を守り、向上させる仕事をしているのであって、全ての行動は、この目的を達成したかどうかによって評価されなければならない」
 「消費者の要求を満たし、人類に貢献する仕事から利益が生まれる」

 第2次大戦後日本において結核が流行したが、日本の社会は戦争で荒廃しており、メルク社の驚異的特効薬であるストレプトマイシンを買える人はほとんどいなかった。結局メルク社は日本に大量のストレプトマイシンを寄贈した。メルク社の寛大な行為を日本人は後々まで忘れなかった。1983年悪名高い日本の閉鎖的市場に参入しようとした時、日本の製薬市場で10番目に大きい萬有製薬の株式の50.02%を買い取ることを認めるという異例の措置を取った。

 「正しいことをすれば、のちに予想外の見返りがもたらされる」
 アイヴァーメクチンの開発計画によって、最高の頭脳を持つ研究社がメルク社へ集まり、また、社員の誇りを高めた。


7.アイヴァーメクチンはよく使われている薬剤である。
日本での商品名は「ストロメクトール」である。